このコーナーでは、もろもろの中国茶の名前の由来に関する物語を
集めてみました。漢字の用い方が微妙に異なる日本人の感覚からは
どうしてこのような名づけ方になったのか、とても興味深い部分です。


鉄観音茶にまつわるお話


18世紀、清朝乾隆の時代、福建省安溪西坪の茶農民・魏欽(ぎ・きん)さんは、
観音様
に信仰が厚く、朝昼晩お茶を神様に捧げることを怠ったことがありません。

ある時彼は、自分が山の奥に行き何かを探している夢をみました。とうとう山の岩壁に今
までみた事のない蘭の香りを放っている茶の樹を発見しました。苦労してやっとその木に
近づいて取ることが出来ましたが、突然、背中から犬の吠え声が聞こえてビックりして夢
から目がさめてしまいました。

翌日、彼は意を決意してその山に行ってみると、
夢の通りその樹が存在しています
取りあえず、少量の葉を採集して彼の熟練の技術で新しいお茶製作を試みました。
仕上がったお茶は、見事なまでに味が厚くとても重みを思わせるお茶であります。

きっと観音様が授けてくれたお茶だと思い、またその
お茶の味が「厚」・「重」を思わせる
味をしていることから「鉄」を連想し、その茶の樹の品種を「鉄観音」と名づけたと
いうことです。




茉莉花茶(ジャスミンティー)にまつわるお話

清朝早期、江蘇省蘇州虎丘のお茶農民・趙(ちょう)さんは、度々出稼ぎ先の
広東省と自家を行き来していました。

ある日、趙(ちょう)さんはお土産として無名なお花を自宅に持ち帰りました。そのお花を
3人息子のうちの長男の茶畑に植付けました。

そのお花には翌年
小さな花が咲き、上品な香りを放ちました。その香りは茶園のお茶の葉
に染まりました。そんなことも知らずに収穫して作った長男のお茶は香
りがよいとたちまち
高い評判になりました。ですが、隣地の次男や三男のお茶はあまり売れませんでした。

その後次男と三男がその無名の花のお蔭で兄が大儲けした事実を知りました。元々は
お父さんが持って帰ったお花のお陰ですから、「兄の儲けは3等分にすべきだ」と弟達
は兄に分け前を請求しました。兄弟の間でなかなか話しがまとまらず、とうとう次男と
三男が強硬手段に走り、「儲けを分けないとお花を切り倒してしまうぞ!」と兄を脅か
しました。

村に名望の高い紳士・戴逵(だい・くえ)さんがこの事態を知り、紛争解決にやってきま
した。「せっかく、これから一族の繁栄に繋がるであろうお花を天から恵が与えられたの
に、兄弟喧嘩に走り、お花を切り倒し、これから三兄弟がずっとお互いに恨みをおぼえつ
つ共に貧乏な一生を暮らすつもりか!
利他を先に、末に利益が自分に帰るべし。この花
の名は末利花と名づけよ。」と
兄弟同士の争いを粉砕し、兄弟達は和解しました。

以降、この無名のお花は「茉莉花(ジャスミン)」と名付けられ、この三兄弟に止まらず、
沢山の農家に栽培されるようになったとのことです。



龍井茶にまつわるお話


清の乾隆
皇帝がある時、杭州龍井獅峰山に訪れました。その頃はちょうどその地方の
お茶の採集時期であったので、大勢の若い女性に混じって新芽を摘むことを楽しんで
いました。

突然、皇居から皇太后が病気で倒れたとの報告を受け、彼はあわてて皇太后のところに
戻りました。皇太后は重い病気ではないが、元気のない声で食欲不振と胃腸の不快感を
周りに告げています。

皇太后は帰ってきた皇帝に、「なにかとてもいい香りがしているけれど、私にお土産でも
持って来てくださったの?」と問いかけました。彼は自分の上着のポケットにお茶の新芽
が残っていることをふっと思い出しました。そしてそのお茶を皇太后に飲ませた所、まも
なく皇太后の病が治ってしまいました。

以来、この
杭州龍井獅峰山のお茶は皇室ご用達に指定され、珍重されるようになったとの
ことです。



東方美人にまつわるお話


台湾北部新竹県北 埔 、 峨眉地方では毎年5,6月になるとウンカという害虫の大量
発生に悩まされ、いつも被害を受けた農民がため息をはきながら、茶葉を捨てていました。
ところが、ある農民はこの悔しさを飲まずに、本来の製法を独自改良して新しいタイプの
ウーロン茶の誕生に漕ぎ着けることができました。

当初生産量が極少量でもあって、このお茶は法外の価格で売られていました。
「椪風」=「ほら吹き」など、他の農民の中傷的なうわさも流されていました。

しかし、「椪風」茶の悪名を背負いながら、顧客の支持を失うところか、毎年の限られた
産量が市場の需要に追いつかないほどの人気です。

一度このお茶を飲めばその香りの品のよさに魅了され、ダージリン紅茶の最高級の
マスカットフレーバーを超えたと思わせるほどのおいしさです。
山の泉水が東方美人の香りと旨みを引き出しています。


このお茶は
百年前すでにイギリスの皇室まで広がり、(定かではないですが)
ビクトリア女王
がこのお茶があの美しい島から到来の品の故、
「オリエンタル ビューティ」と命名したという話です。

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